パニツク

むかし、努力とか根性とかに対しての漠然とした憧れがあって、だけどもいったい何を努力し、何を根性したら良いのかよくわからなくて、今思うと不思議なのだけど、学校の部活動をがんばっていた時期があった。

がんばっていた、というのは正確ではなく、当時の僕は物事のがんばり方を知らなかった。闇雲に練習時間を増やすことが努力だと思っていた。できないことを徐々にひとつずつできるように、孤独に一人だけの課題を訓練で克服していく、そんな概念を若い僕は持っていなかった。むしろ物事というものは、ほぼ100%生まれ持った性質で出来不出来が決まると思っていた。それなのに、なぜあんなに練習していたのか不思議だ。努力していることを周囲に見せつけることが目的と化していたのか、やけくそになっていたのか、こんなに努力しても下手糞であるという自己認識をただ強化し続けていたのか、いつか本当に努力しなければいけない未来に備えたかったのか、同年代の生き生きした人々が飛び込んでいく試練みたいなものをただ避けて通ることに抵抗がある小心者だったのか、本当に上手くなりたかったのか、ヒマだったのか。よくわからないがとにかく練習していた。

部活動の三年間を締めくくる最後の大会で、僕は試合に出た。始まってすぐ、球を追いかけて上を見上げたら、そこには見慣れない体育館の強烈なライトがあって、その光を見た瞬間に、透明な泥のなかを泳いでいるように体が言うことを聞かなくなった。音も光もなにもかも遅くなった。僕の返す球は、どんなに力をこめても急流に抵抗できない死にかけた魚のように力がなくなった。床や壁がやけに近く感じた。仮に僕を運転しているパイロットが頭の中にいたとすると、彼がコクピットで泡を吹いて倒れたんじゃないかと思う。気がついたらあっけなく負けていた。

あの現象ってなんだったんだろう、てたまに考える。