疲れたの種類

「疲れた」にも色々と種類がある。

まずは、「疲れた」と思ってる場合と、思ってない場合に分かれる。

どうしてなのかはわからないが、心が疲れているとき、意外にも「疲れたなあ」とは思わないものだ。ある時、突然、無意識の中に搭載されているブレーキがかかり、心と身体が停止してしまう。これがおそらく本来の意味の疲れている、だと思う。この域に行くまで疲れる場合というのは、ああ疲れたなあ、とか思っているヒマなんかなく、むしろすいすいと物事が進行していって遠くまで来てしまったときである。心と身体にはたぶん負荷がかかっているのだが、意識の上ではすべてが簡単にできる、という感覚なことが多い。意識は、自分がどれくらい難しいことをこなしているか計算に入れることができないものだ。

反対に、疲れたなあ、と意識の上で思っている時は、実は上記の場合よりも疲れていない場合が多い。疲れているというよりはむしろ、車で喩えると、ブレーキとアクセルを同時に蹈んでいるような奇妙な状態なんじゃないかと思う。むしろこの、同時に相判する二つの命令を遂行しようとしている軋みのようなものが、疲れたなあ、という感覚なのかもしれないとすら思う。

心地良い状態に留まりたい、という欲求は強くて、疲れたなあ、という気持ちを想起するだけでそれが達成できるなら、無意識はいくらでも疲れたなあとか言ってくる。そんなかんじがする。