正解

どんな物事でも、真剣にやるはじめると正解というものはないとおもう。算数の問題集のうしろをめくると書いてある正解というものはない。突き詰めていけば最後にはそれぞれの人が違った言葉で同じ結論を語ったりもすることもたまにあるが、そうでないことも多い。一歩一歩進むたびに、膨大な数の選択をしなければならないので、組み合わせの数が一秒ごとに爆発的に多くなるそのすべての選択肢の正解を誰かから教えてもらうことはできない。自分に合ったやりかた、これまで培ってきたやりかたを少しずつ育てていくしかない。

「実はこれが正解なんですよー」と、「正解」らしきものを与えることを生業にしている人というのがいて、けっこうみんなこれに弱い、ということに最近気がついた。

それだけであればまだ無害なのだが、こういう人達は、「正解」を消費者として買っていることを知識だと勘違いして、より劣った消費者に対して「正解」を教え始めたりするのでこれはとても有害だと思う。

たとえば植物は種類ごとに違った葉っぱのかたち、枝の伸びかたをする。その場所ごとに最適な形を探していたりする。形づくられる過程の途中で、別の植物の「正解」を押しつけられたら壊れてしまうだろう。