散歩

昨日はあまり眠れなかったのになぜか早めに目が覚めた。洗濯をして、少し運動をして、いつもの飲み物をつくって一杯飲んで、神棚に備えている二杯のお水を取り替え、神棚に手を合わせ、今日も空気が吸えることや清潔な水が手に入ることや周りの環境も含めて人間としての存在が続いていることに感謝して、その後少し散歩に出た。神棚に埃がたまっているけど掃除していないなあ、と思ったがすぐに忘れた。

家の近所は住宅街で、特に行きたいところも見たい景色もない。僕は散歩をしながら何か考え事をしたり空想をしたり妄想をしたりするので、通った場所や周囲の景色をほとんど記憶していない。むしろ、背景を消しゴムで全部消してしまいたい。どんなに歩いてもそこは目に優しい真っ白な背景で、心地の良い曲線を描く足元の道以外はなにもない。そんな散歩があったらむしろ理想かも。どっちへ行こうかと迷うことはなく足が行きたい方向へ向く。帰り道のことを考えなくても、いつのまにか家に帰り着いていて、帰ろうかと思ったときには唐突に終わっている。そういう散歩でいいやー、という気もする。これを単純に考えると、「VRで実現できそうだね」という声が聞こえてきそうだけど全然だめである。体を動かすこと、というよりも歩く、ということが重要な要素だし、移動する、進む、というのは視覚情報を騙すだけではなにか足りない気がする。たぶん人間の体って歩くためにできてる感じがあるから。あと、背景が消えたほうが良いのはここが都市の住宅街だからであって、山の中とかは歩きたいです。土があって草木があって虫があって微生物があって何かが崩れかけていて細かく振動するようにいつもなにかが動いている、生きてるって感じの背景だったら良いですね。

散歩が大好きな人の話をたまたま聞いたところ、住宅街の家々を見て、その歴史や変化を観察したり考察することがおもしろいらしい。そんな目を持てたらやっぱり世の中もっと楽しくなるのかもね